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矩計日記 
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丁度いゝのに限る
善行堂に行ってきた。帳場近くの本棚に『三田文学臨時増刊 水上瀧太郎追悼号』(三田文学会、昭和15年)があった。水上瀧太郎と交流のあったさまざまな人達が追悼文を寄せている。そのなかに中戸川吉二の名前があったので迷わずに買うことにした。
帰ってきてから、さっそく中戸川のところを読む。

《去年の暮れから三宅と、岡田のおかみさんとが、家へ来る度に、「近く阿部さんが見舞に来るさうだ」と、何邊となく云つては居たが、大會社の重役が、どんなに忙しいかも知つてるし、うそつきやがれーと、ひがみ強くなつてゐる私は思つてゐた。》

冒頭部分を読んでいるだけでニヤニヤしてしまう。やっぱりどこかヘンだ。大人のなかに子供がひとり混じっているような感じがする。
EDI叢書の『中戸川吉二 三篇』の年譜によると、中戸川は昭和13年に脳溢血で倒れて病床につく、となっている。この追悼文は昭和15年に口述筆記させたものらしい。
その中戸川のところへ水上瀧太郎(阿部章蔵)が見舞いに来た。

《私はすこし前から脳溢血だつたし、阿部さんもそうだし、お互ひにその話もした。私は未だに不養生をして、血壓も百六七十を下らないで居るが、阿部さんは脳溢血當時は二百もあつたさうだが、今では肉も喰はなければ、好きな酒も止めて、血色も靑くなる程までに極端な養生をして、血壓も百三十七まで下つたさうである。私はそれをきいて、醫學上のことは知らないが、不平は不平であつた。人間であるから今までと全然違つた生活をするのはどうかと思ふ。飲みつけた酒は少しは飲んでた方がいゝのではないかと思ふ。》

その六日後、中戸川は新聞で水上瀧太郎の急逝を知る。驚いた中戸川は看護婦を連れて車に乗り込む。途中で停留所に立っていた三宅周太郎を乗せて先を急ぐ。
水上の家にたどり着くと、話で聞いていたとおりの大きな家であった。

《三宅と私は顔見合わせて、暫く沈默した。
岡田のおかみさんが一人で饒舌つている。
三宅が急に大きな聲を出した。「大きな家へ不意に越すからいけないのだ」
私「違ふ。断然違ふと思ふ。丁度いゝのがいゝんだよ」
三宅「・・・・・」
私「丁度いゝのに限るね」
岡田のおかみさんが、くすりと笑つた様な氣がする。
私「それはもう斷然丁度いゝのに限るね」
すると三宅も又、くすりと笑つた様な氣がする。・・・・・・
大きな門の前へ來た。阿部章藏と書いてある。みんなそこへ下りた。》

追悼文はここで終わっている。題名は「丁度いゝのに限る」。
なんだかよくわからないけど、中戸川の微妙な心の動きに惹かれてしまう。この短い文章でも中戸川吉二の人となりがよくでていると思う。
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by kanabakari | 2011-01-09 02:13 | | Comments(0)
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