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矩計日記 
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因幡薬師
14日の日曜日、またまた秋の特別公開に行ってきた。この日が最終日だった。
烏丸通を四条から下がって松原通を東に入り、不明門通をすこし上がったところにある平等寺というお寺。通称、因幡堂という名で親しまれている。

拝観の受付を済ますと、まずは収蔵庫のなかに案内された。今日も若いガイドの人たちが各お堂で待機している。
2メートルほどの高さの厨子のなかには、本尊の薬師如来立像のお姿が。
このお薬師さん、頭の上に小さな座布団のようなものを乗せている、というか乗せられている。これは信仰上の何か深い理由でもあるのかと思えばさにあらず。
ガイドさんの説明によると、この厨子の裏側には滑車が仕込まれていて、戦火で焼かれそうになるたびに厨子ごと転がしてお薬師さんを避難させた。その際、厨子の中で仏像が動かないように固定するための緩衝材ということらしい。戦火というのは応仁の乱の頃のことなのだろうか。真っ赤に燃え上がる炎の中からこの厨子が飛び出して、不明門通を転がっていく様子を想像すると、なんだかカッコイイ。

本堂に入ると、大きな不動明王の前に小さな厨子がある。なかにおられるのは憤怒相のこわいお顔。愛染明王みたいだが、なんと大黒さんだという。意外そうな反応をみせる参拝客を見て、ガイドさんもうれしそうに説明してくれる。もともと大黒さんはこういうお姿だったという。
本堂の真ん中には、もともと本尊の薬師如来がおられたという厨子があり、その周りを日光菩薩と月光菩薩、そして十二神将が守っている。

そのあと、観音堂にも入らせてもらえたのだが、役行者と十一面観音坐像しか記憶にない。
たくさん観すぎて少々くたびれた。

加藤一雄著『雪月花の近代』(京都新聞社)のなかの「中京 下京」と題されたエッセイに、この因幡堂が登場している。
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この本の189ページに載っている写真を真似て撮ってみた。
この写真が撮りたくて来たようなものかもしれない。

写真を撮ってごきげんさんになったまま東洞院通を北へ。雲り空だったがけっこう暖かくて散歩するにはちょうどよかった。歩いているうちにだんだんおなかも空いてきた。頭のなかでは、加藤一雄のすこしヘンだけど、うっとりするようなあの一節を思い出していた。そして、うっとりしながらしびれていた。

《私は一度因幡堂の裏手、ゴミ箱や古下駄と大威徳明王、毘沙門天の壊れたのが置いてある隅で立小便をしたことがある。鳩の群れがクウクウ鳴いて花曇りの昼は眠気がさす程とろりとしていた。わが放水の板塀一枚向こうの町家では、誰かが下手な義太夫を繰り返し繰り返し稽古している。天満屋お初のくどきが仲々うまく行かんらしいのである。傍らの十八所地主権現、稲荷氷室秋葉の三社、十一面観音のお堂も荒果てている。本堂の内陣には天竺の祇園精舎から飛んできた薬師如来が碁盤の上に坐ってる筈なんだが、格子の中は真暗で何も見えはしない。わたしは抹香の匂をかぎ、鳩のクウクウ鳴くのを聞き、「かかさんは南の方で賃仕事」とお初の嘆きを聞いていると幽暗なような華やいだような、この世を捨てたいような執着したいような、何とも言えぬ気持ちになった。頗る以って下京の町にアテられた気味である。》

お堂の裏手にも廻ってみるべきだったか。
この界隈はすっかりオフィス街になってしまった。義太夫のかわりに聞こえてくるのは車の走る音だ。
しかし、一本、路地を入るとこんなに古いお寺が残っている。
加藤一雄を「何とも言えぬ気持ち」にさせたものは跡形もなく消えたように思えるのだが、あの古いお堂のなかの暗くてちょっとゾッとする感じは、加藤一雄が見た頃とほとんど変わっていないのではないだろうか。
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by kanabakari | 2010-11-17 21:38 | | Comments(0)
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