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矩計日記 
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夏の町
かねがね、梅雨明けから盆までのこの時期が一番好きだと思っていたけれど、ここまで暑くなると、それも怪しくなってきた。暑さのあまり本を読むのもおっくうになる。
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『荷風随筆集』野口冨士男編(岩波文庫)を読む。
「夏の町」という一編が面白い。永井荷風は子供の頃、隅田川で水泳を覚えたという。水泳を習う稽古場を水練場といったらしい。水練場という言葉は何かで見たことがあったが、実際どのようなものであったのかは全く知らなかった。

《自分が水泳を習い覚えたのは神伝流の稽古場である。神伝流の稽古場は毎年本所御舟蔵の岸に近い浮洲の上に建てられる。》
 
柔道や剣道などの稽古場のようなものが、水の上に建てられたと考えていいのだろうか。今のところ、頭の中には鴨川の床の情景しか浮かんでこないのだが、あんなに陽気なものではなさそうだ。神伝流なんていかにもきびしそうではないか。昔は水泳にも流派があったらしい。
 
《一通遊泳術の免許を取ってしまった後は全く教師の監督を離れるので、朝早く自分たちは蘆のかげなる稽古場に衣服を脱ぎ捨て肌襦袢のような短い水着一枚になって大川筋をば汐の流に任して上流は向島下流は佃のあたりまで泳いで行き、疲れると石垣の上に這上がって犬のように川端を歩き廻る。》

犬のように川端を歩くというのがいい。全身ずぶ濡れになって泳ぎ疲れた少年たちのてんでんばらばらに歩くさまが目に浮かぶ。
でも水練場って案外楽しそうだ。そして、次のようなさらに楽しげな回想も。

《濡れた水着のままでよく真砂座の立見をした事があった。永代の橋の上で巡査に咎められた結果、散々に悪口をついて捕まえられるものなら捕まえて見ろといいながら四、五人一度に橋の欄干から真逆様になって水中へ飛込み、暫くして四、五間も先の水面にぽっくり浮かみ出して、一同わァいと囃し立てた事なぞもあった。》

都会っ子らしいすばしっこさ。それにしても立見とはいえ水着のままで芝居見物とはすごい。のんびりとしたおおらかな時代だったのだろうか。
やがて中学生になると荷風は仲間たちとボートを借りて遊んでいる。学校の帰りに書物の包みを持ったまま舟に乗り込み、代数や幾何学の宿題を済ませたり、江戸文学を読みながら目の前の実景と見くらべては喜んだりしている。この少年時代に見た隅田川の風景は、江戸文学に親しむことによって一層深く荷風の心に印象付けられることになった。

《鐘ヶ淵の紡績会社や帝国大学の艇庫は自分がまだ隅田川を知らない以前から出来ていたものである。それらの新しい勢力は事実において日に日に土手や畠や川岸や蘆の茂りを取払って行きつつあるが、しかし何らの感化も自分の心の上には及ぼさなかったのだ。黒煙を吐く煉瓦づくりの製造場よりも人情本の文章の方が面白く美しく、乃ち遥に強い印象を与えたたがためであろう。十年十五年と過ぎた今日になっても、自分は一度び竹屋橋場今戸の如き地名の発音を耳にしてさえ、忽然として現在を離れ、自分の生れた時代よりも更に遠い時代へと思いを馳するのである。
いかに自然主義がその理論を強いたとしても、自分だけには現在あるがままに隅田川を見よという事は不可能である。》

上の写真は今年の五月に東京へ行ったときに撮った。永代橋が見られてうれしかった。
荷風が仲間たちと泳ぎまわった頃とくらべると、当然変わり果てた景色なのだろう。しかし、とても静かで、なかなかいい眺めだった。高層ビル群の向こうに、江戸はおろか明治大正いづれの町を見透すことはできそうになかったが、そのときは、川に架かる橋の風景というものがそれだけでも十分に面白くて飽きずに眺めていたのだった。
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by kanabakari | 2010-08-04 23:25 | | Comments(0)
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